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中東・イスラム世界への招待
久しぶりに世界史学習の問題を紹介します。
地図の色塗りは次の図を参考にして下さい。問題1と2は基本的なことなので簡単ですね。
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2010年にチュニジアで起きた民衆の行動が、反政府運動へと拡大し、政権が崩壊したのでした。その余波が中東各国に広がり、エジプトの政権も崩壊したのでしたね。反政府運動の波は長期独裁を続けて来た国々の指導者たちを怯えさせたものでした。その一連の流れをマスコミはすぐに「アラブの春」と名付けたのでした。それは、1968年春にチェコスロバキアで起きた民主化の動きを意味した「プラハの春」という言葉を捩ったものでした。このときにはソ連と東欧軍が介入したのですが、結局は民主化が勝利したのです。
マスコミがジャーナリストが「アラブの春」という言葉を連発する状況をみて私は「春などすぐに来るわけはない!」と思っていたので、この言葉を聞くたびにうんざりしたのでした。結果はその通りでした。一部の国では政権が交代したものの、そこに春が来てはいないのです。いまでは、死語となった「アラブの春」です。
そんな死語となった「アラブの春」を題材とした書物を、今日は紹介いたします。書物の紹介というよりは、書物の存在を紹介したいのです。タイトルは冒頭の通りです。2012年、角川書店発行の新書(角川oneテーマ21)で著者は重信メイです。彼女は「はじめに」の中で次のように語っています。「アラブで生まれ育ち、いまは日本に暮らしている私の目からみたアラブの春について書いています」と。そうです、彼女はアラブで生まれ育ったのです。新書の帯には「大手メディアが伝えない革命の真実」と書いています。アラブの春の運動の経緯や事実関係は知っていたのですが、私は彼女の目からはどう見えていたのだろうかと興味を持ったのでした。著者の名前に魅かれたのです。彼女の母親は「重信房子」です。重信房子とパレスチナ人男性との間に生まれたのが著者「重信メイ」なのです。当時読み終えて特に満足感も違和感もない感想でした。知らないことも沢山あったので、そうなんだと受け入れたものでした。一度読んだだけなので、汚れもなく新品同様を維持しています。ただ一カ所だけ最終章の「おわりに」の中でパレスチナ問題について語った部分に鉛筆で線が引いてあります。次の言葉が印象に残ったのでした。
パレスチナとイスラエルの問題は、宗教的な問題ではないということです。イスラム教とユダヤ教の対立ではありません。
イスラエルは確かにユダヤ教徒がつくった国ですが、彼らに土地を奪われたパレスチナ人はイスラム教徒だけではありません。キリスト教徒も無宗教の人たちもいます。そういう人たちがみんなでかつて自分たちやその親が住んでいた土地を取り戻すために、イスラエルの占領政策に抵抗しています。
弾圧、差別、自由がない・・・だから抵抗しているのです。宗教のためではなく、生活のために戦わざるをえない。そのことをまず知ってほしいと思っています。
私がこのあとがきでパレスチア問題を取り上げたのは、この問題とアラブの春は決して無関係ではないからです。
チュニジアやエジプトで人々が訴えたのは、まさに「人間的な問題」です。・・・・・・」
パレスチナ問題を宗教の問題ではないという辺りは全く同感です。私も以前から同じように考えていました。さらに言うならばイスラム同士での紛争ではすぐにスンナ派とシーア派の対立だと決めつけることが多いのですが、対立の真の原因はそんな単純なものではないと考えています。
さて、この本の紹介を今日行った意味にもう皆さんはお気づきですね。重信房子が近く刑期を終えて出所することになるのです。彼女の今については新聞各紙が書き始めているので、そちらをご覧ください。毎日、短歌を詠んで日々を送っているようです。歌集も出版されるようです。これまでの過去を踏まえた歌のようで、いくつかを読みましたが、興味というか、うーんそうなんだという思いが湧いてきました。テルアビブ、ハーグなどなど、様々な思いが浮かんでくるようです。
ロシアのウクライナ侵攻は依然として続いている。ウクライナ東部はほぼロシアが制圧したようであるが、ウクライナ側の抵抗は止まず、多くの市民が犠牲になっている。今回はオスマン帝国時代に中東で起きた「ロシア・トルコ戦争」を回顧してみよう。
まずはインターネット上の「世界史の窓」の記述を引用させていただこう。
17世紀末以来、ロシアにとっては、海上では黒海の制海権を得て、両海峡から東地中海方面に進出すること、陸上ではバルカン半島のスラヴ系民族を統合して勢力を拡大すること、いわゆる南下政策は、国家的野望であり、悲願であった。その地域はすでにオスマン帝国が押さえるか、その属国が治めており、ロシアが南下を図ろうとするかぎり衝突を避けることはできない。ロシアとオスマン帝国との間では、17世紀後半から19世紀後半まで200年間に、大小の戦争が12回に渡って行われている。それらを総称してロシア=トルコ戦争と言う。そのなかでもロシアのエカチェリーナ2世の時の2次にわたる戦争と1877~78年の戦争が重要。一般的にロシア=トルコ戦争(露土戦争)とは、19世紀のものに限定する場合が多い。
つまり、トルコとロシアの間では何度も戦争が行われたのである。
ピョートル大帝時代:
黒海北岸にもオスマン帝国の勢力圏が及んでおり、クリミア半島にはオスマン帝国を宗主国とするクリム=ハン国があったので、まずオスマン帝国に対して攻勢をかけた。ピョートル1世は、1696年、黒海につながるアゾフを占領した。その後、北方戦争が起こったため、バルト海方面への進出が主となった。1711年、北方戦争の最中、亡命していたスウェーデンのカール12世の意を受けたオスマン帝国がロシアに宣戦、プルート河畔の戦いでロシア軍が敗れたため、アゾフをオスマン帝国に一時返還する、ということもあった。
エカチェリーナ2世(在位 1762~96年)の時代
エカチェリーナ2世のときに再び南下政策が活発化し、オスマン帝国への侵攻が再開された。
第1次ロシア=トルコ戦争:1768年にロシア軍が、クリミア半島、バルカンに陸軍を進め、黒海では海軍がオスマン海軍を破る。1774年、キュチュク=カイナルジャ条約でダーダネルス=ボスフォラス海峡(両海峡)の商船の航行権などを獲得。ロシアのクリム=ハン国の保護権を認められた。しかし、クリム=ハン国のクリミア=タタール人は依然としてオスマン帝国のスルタンに従う姿勢を崩さなかった。そこでロシアは、1783年に強制的にクリム=ハン国を併合し、ロシア化をはかった。そのため多くのクリミア=タタール人がオスマン帝国領に移り、救援を求めた。
第2次ロシア=トルコ戦争:1787年、オスマン帝国はクリミア=タタール人の要請を入れて、ロシアにクリミア半島と黒海北岸の軍隊の撤退を要求、ロシアはそれを拒否して開戦となった。この戦争では、イギリスとスウェーデンがオスマン帝国を、オーストリアがロシアを支持したために、国際問題化した。ロシアとオーストリアは共に出兵し、特にロシア陸軍はオスマン帝国領内に深く進攻し、イスタンブル(コンスタンティノープル)に迫まった。1792年、イギリス、スウェーデンが手を引き、オスマン帝国は孤立したため講和に応じ、ヤッシーの和約で、オスマン帝国がロシアのクリミア半島領有を認めた。このクリミア半島併合は、ポーランド分割とともにエカチェリーナ2世の領土拡張の成功となった。
バルト海政情悪化の影響:ロシアとオーストリアが同盟してオスマン帝国との戦いとなったとき、イギリスとスウェーデンがオスマン帝国を支援し出兵した。ということは、バルト海を巡る諸国のあいだの対立となるのでにわかに政情が不安定になり、バルト海の船舶航行ができなくなることを意味し、ポーランドやロシアからフランスに運ばれる小麦などの穀物がストップした。そのためフランスでは穀物価格が急騰し、1788年には折からの荒天による凶作が重なり、食糧不足・物価高騰が起こった。パリ市民には不満が鬱積し、それが翌年のフランス革命勃発のきっかけのひとつとなったのだった。
クリミア半島にはクリミア=ハン国があり、そこはオスマン帝国を宗主とする属国であったわけである。ハン国と呼ばれたことから、この国はジンギス=ハンの末裔のモンゴルの国であった。
近代のクリミアは、1783年のロシア帝国によるクリミア・ハン国併合に始まる。1921年にはソビエト連邦の下にクリミア自治ソビエト社会主義共和国が設置されたが1945年に廃止され、代わって置かれたクリミア州は1954年にロシア・ソビエト連邦社会主義共和国からウクライナ・ソビエト社会主義共和国に移管された。ソビエト連邦の崩壊に伴い1991年にウクライナが独立すると再び自治共和国の地位を得たが、2014年クリミア危機でウクライナ国内法を無視する形で一方的に独立を宣言。続いてロシアによるクリミアの併合が宣言され両国による領有権をめぐる対立が続いている(この部分はウィキペディア参照)。
今現在はクリミアのロシアの占拠を国際社会は認めていないわけであるが、こうして過去の歴史を振り返ってみると、領土などは常に変化し続けてきたわけである。日本のような島国では、そのような実感は殆どないのであるが。でも沖縄がかつては琉球王国であったが、いまは日本に併合されている。東北の北の方から北海道には倭人はいなくて蝦夷の地であったのを倭人が進出?していった。北海道へも退去移住して開拓していった。島国の日本であるからこの程度であったのだろう。陸続きで国々が存在する地域では、力によって現況を変えることは多々あったことを知るのである。今まさに歴史は繰り返すのを目の当たりに見ているような気がする。繰り返さないで欲しいのだが。
というサイトにアクセスすると世界中のテレビを見ることができることを御存知ですか。サイトのアドレスは https://wwitv.com/portal.htm です。世界中の言語をネイティブの音声で聞くことができるのです。英仏独西語のような主要言語を聞くことは今では難しくありませんし、それ以外の言葉もこのようなしいサイトを知れば、いつでも聞き放題なのです。
なぜ、このようなことを言うかというと、私が学生時代の頃はネイティブの外国語を聞くことは中々難しかったのです。高校生の時に大阪外大のペルシア語を受験すると決めたのですが、入学するとイラン人の先生が日本語出来ないので英語で授業をすることを知ったのです。外大生は英語ができて当たり前というのです。英語のヒアリングができないといけないということで、親に頼んでソニーのテープレコーダーを買ってもらいました。ラジオ英会話を録音して聞いたものでした。テープレコーダーに英語を録音しようとしても、ラジオ英会話程度しかなかったのです。入学してからはペルシア語を学習したわけですが、生のペルシア語はイラン人の先生(女性の方でカーゼンプールさん)からしか聞くことができなかったのです。冒頭の様なテレビをインターネットで見なくても、数多くの教材があって、それにはCDが付いているので、ネイティブのペルシア語を聞くには全然不自由がない時代になったですね。
でもこのようなサイトでテレビをみると、生きた言葉に触れることができます。ニュースからは緊張感、緊迫感が伝わります。このサイトの一面ではウクライナのサイトが一番見られていることがわかります。冒頭の画像はウクライナのライブ放送ですが、次の画像のようなライブカメラの映像なども視聴できます。この画像はスクリーンショットなので静止画像ですが、実際には真ん中の画像では時々ピカッと光るのです。ロシア軍の攻撃によるものだと思います。
こんな放送をみることをお勧めしているのではありません。中東のような比較的普段接することのできない地域の言語や文化を学習している人は是非とも、このようなサイトを利用することをお勧めしたいということです。例えばイランの局を見たいと検索すると以下のように沢山の局が出て来るのです。ニュース、あるいはフィルム(映画)のように選択をして利用することができるでしょう。
当然、英語学習に利用することもできます。USAで検索すると80ほどの局が出てきます。次の画像は米国ABCのものです。
上の画像は雑誌「PRESIDENT」の最新号の表紙です。この雑誌では時々、英語の特集をしています。ビジネスマン対象の雑誌ですが、語学に堪能になりたい人が多いという証でしょう。最大の方法はいつも聞いているということしかないでしょう。ある程度、上達したら時間が経過しても、出て来るものだとかいう人もいます。子供の頃に自転車に乗れるようになれば、老いてから久々でも乗れるもんだというのです。自転車は身体で覚えるからそうかも知れませんが、語学はやはり長い間使わないとどんどん語学脳は退化していくと私は思います。その程度しか身に(脳に)ついてなかったということかもしれませんが。
今年もラマダンが既に始まりました。4月3日から5月2日までということです。ウィキペディアの冒頭には次のように書かれています。
ラマダーンまたはラマダン(アラビア語: رمضان、フスハー発音:[ra.ma.dˤaːn]、ペルシア語: رمضان、ウルドゥー語: رمضان、発音:[ra.ma.zaːn]、トルコ語: Ramazan、インドネシア語: Ramadan)は「熱い月」の意味で、ヒジュラ暦(イスラム暦)での第9月を指す。この月の日の出から日没までの間、ムスリムの義務の一つ「断食(サウム)」として、飲食を絶つことが行われる。
アラビア語、ペルシア語、ウルドゥー語、トルコ語、インドネシア語での表記と発音が示されています。アラビア語もペルシア語もアラビア文字の綴りは同じですが、発音はアラビア語がラマダン、ペルシア語はラマザンです。アラビア文字の ض の発音が異なっているのです。ラマダンのダという発音は日本語のダとは少々異なる音です。それに引き換えペルシア語やウルドゥー語のほうはzで示されるので日本語のザの音そのままで、ラマザンでいいです。私はペルシア語出身なので常にラマザンというのですが、そういうと日本人からもラマザンではなくてラマダンだよと注意されたことがあります。
そんな言葉の意味を言いたいわけではないのです。ラマダンになると中東地域ではイスラム世界なので戦争や紛争時であっても、しばらくは休戦にはいるのが常であります。「腹が減っては戦ができぬ」というわけではなく、この聖なる断食月に争いごとなどもってのほかということでしょう。断食を体験することで日頃の食事に感謝、貧しくて食糧難に瀕している人々に思いをはせる。喜捨の精神を実行するなどなど、身と心を浄める期間なのであります。イエメンでの内戦が続いていますが、ラマダンにあたり休戦協定をしています。しかしながら、協定破りがなされているというニュースも伝わってきています。イエメン内戦というものの、サウジアラビアとイランの争いというのが定説です。イエメン紛争についてはこのブログでも書いたことがありますが、単純なものではありません。
さて、本当に言いたいことは次のことです。ラマダンはイスラム世界の年間行事ですが、ウクライナの戦争に休戦はないのかということです。米国CIAの資料をみると、ウクライナは
正教会(ウクライナ正教会(OCU)、ウクライナ独立正教会(UAOC)、ウクライナ正教会-モスクワ総主教区(UOC-MP)を含む)、ウクライナギリシャカトリック、ローマカトリック、プロテスタント、イスラム教徒、ユダヤ教(2013年推定)。 )
ウクライナの人口は圧倒的にキリスト教徒です。大多数(最大3分の2)は、自分たちを正統派として識別しますが、多くは特定のブランチを指定していません。OCUとUOC-MPはそれぞれ国の人口の4分の1未満を占め、ウクライナギリシャカトリック教会は8〜10%を占め、UAOCは1〜2%を占めています。イスラム教徒とユダヤ人の信奉者はそれぞれ、総人口の1%未満を構成しています。一方、ロシアは次の通りです。
ロシア正教会15-20%、イスラム教徒10-15%、その他のクリスチャン2%(2006年推定)
推定値は、崇拝者の実践に関するものです。ロシアには、非実践的な信者と非信者の人口が多く、ソビエトの支配下での70年以上の公式無神論の遺産です。ロシアは、正教会のキリスト教、イスラム教、ユダヤ教、仏教を国の伝統的な宗教として公式に認めています。
ロシアはロシア正教とその他のクリスチャンを合わせても20%台ということです。旧ソ連時代の共産主義時代に宗教は抑えられたのでしょう。でも伝統的はロシア正教のキリスト教が主というイメージです。そしてウクライナは圧倒的にキリスト教ですね。宗教的にはキリスト教という共通域があるわけです。でもプロテスタントなどの宗派の違いで争いごともありましたし、イスラムでも宗派の違いで争いはあります。何とか理由をつけて休戦にもち込むことはできないのでしょうか。クリスマスならどうかとは思うのですが、まだ12月までは遠いです。毎日、ニュースを見るたびにウクライナで数多くの人が殺害されていることに憂鬱になります。日本も避難民を受け入れ始めました。NATOの国々はウクライナ支援のために武器の供与を積極的に行っています。武器商人は大儲けしているようです。戦いはますますエスカレートしてしまうでしょう。ロシアは核施設を攻撃もしました。核兵器の使用も厭わないという伝聞もあります。私たち普通の日本人は「だから、核兵器は廃止しなければならない」と思うのですが、日本の多くの政治家は「だから、核を保有しなければ侵略されてしまう」と論じているようです。バカ野郎と言いたいものです。
ロシアのウクライナへの攻撃は依然として収まっていません。世界中にその影響が及んでいますが、中東への影響はどうでしょうか。ウクライナからの穀物輸出先のトップ10を見てみましょう。
2020年のウクライナの穀物輸出先トップ10 | 2019年のウクライナの穀物輸出先トップ10 |
中国 18億5500万ドル エジプト 11億2000万ドル インドネシア 5億4700万ドル スペイン 5億4300万ドル オランダ 5億1900万ドル トルコ 4億7300万ドル チュニジア 3億4700万ドル バングラデシュ 3億1700万ドル 韓国 2億8200万ドル リビア 2億6500万ドル |
エジプト 13億1100万ドル 中国 8億5900万ドル スペイン 7億6500万ドル トルコ 7億1800万ドル バングラデシュ 4億2100万ドル イスラエル 3億1700万ドル オランダ 6億2400万ドル インドネシア 5億3800万ドル チュニジア 2億9300万ドル イタリア 2億8300万ドル |
輸出穀物の量 | 輸出穀物の量 |
トウモロコシ 2790万トン 小麦 1810万トン 大麦 500万トン ライ麦 5000トン |
トウモロコシ 3230万トン 小麦 2000万トン 大麦 410万トン ライ麦 1万3000トン |
数値の出所は以下のサイトです。利用させていただきありがとうございます。
ウクライナのマルチメディア報道プラットフォーム
https://www.ukrinform.jp/rubric-economy/3195317-nianukurainano-gu-wu-shu-chu-xiantoppuweiha-zhong-guo.html
このトップテンにはエジプトとトルコ位しかでていませんが、輸出量の多い順ですから他の中東諸国は出ていません。でも、それぞれの国の穀物輸入量全体の中でウクライナからの比率は非常に高いのです。ですからレバノン辺りではロシアとウクライナで80%とかの高い比率になるはずです。ウクライナだけ採り上げましたが、ロシアも小麦の輸出大国です。当然中東にも影響がでているわけです。
私たちはエネルギーのことが一番大切のように考えがちですが、食料品が大事なのは当然のことですね。早く戦争が終わらないと、色々な面で大変なことになるってしまうでしょう。コロナ同様に早く終わりますように。
春爛漫の季節になりましたね。桜は満開です。上の写真は家のすぐそばの公園の桜です。遠くに行かなくてもこんな奇麗な桜が見ることができることは嬉しいことです。2枚目は我が家の庭のアーモンドの木の花です。桜より10日ほど早く満開になって、花の期間も桜よりは長いのがアーモンドの良いところです。花は桜に似ています。そのアーモンドに写っている小鳥はシジュウカラのの雌です。軒下に掛けておいた巣箱にせっせと苔を運び入れているのです。ここ2~3日は巣作りの仕上げとして犬の白い毛を集めて運び込んでいます。もうすぐ産卵、そして可愛いヒナが現れることでしょう。
このブログに中東・イスラム関係以外のことを書いたことはありませんが、この春の陽気につられて、たまには日常のことに触れることがあってもいいかなと思いました。これからも季節に合わせて、私生活の記事も書いていくかも知れません。その方が人間らしくて良いような気がします。
さて、今日から4月です。この年になると新年度だと言っても何も変わることはありません。孫たちの新学期や入学の季節程度です。一昨日、ある筋からペルシア語の通訳についての問い合わせがありました。今回はお断りしたのですが、ペルシア語の通訳という想い出について今日は書かせていただきましょう。
私のペルシア語は外国語大学の4年間が基礎になっています。企業に就職し、海外要員(といっても勿論ペルシア語の現場イランですが)育成のために2年間の期間がありました。イランの砂漠を緑にするという水資源開発計画に関わる会社だったのです。技術中心の会社です。ですから、私自身も名古屋大学の工学部の授業を受けに行かされたりしました。例えば土木計画学、土木施工学、建設機械学、などなどです。本職はコーディネーターですから、技術は関係ないのですが、やはり少しぐらい技術者たちのやっていることを知っておくようにとの会社の方針ですが。イランで革命が起こる前の8年ほど駐在していましたので、その間にペルシア語は鍛えられました。そこで通訳の想い出です。
このブログの中にも「幻のイラン新幹線」という記事を書いていますが、このプロジェクトのために日本の当時の国鉄の錚々たるメンバーがイラン入りして現地調査をしました。私はずっと同行してフォローしました。調査そのものが楽しいものでした。専用の特別車両を使って在来線を何日もかけて辿ったのです。食事はシェフが乗り込んでいてダイニング車両で食べるのです。途中の町ではライオンズクラブのメンバーがランチ会に招待してくれたりするわけです。すべて私が通訳しなければなりません。会議室の車両ではイラン国鉄の技術者と日本の技術者とのやり取りがあり、ずっと通訳しました。フィージビリティスタディが終わり、マスタープランが作成されて、分厚い報告書が完成しました。日本から当時の国鉄副技師長が報告書を持参して、深夜のメフラバード飛行場に着きました。そして、その日の午後に運輸大臣にプレゼンテーションする計画でした。私は当然、大使館の方が通訳すると思っていたのですが、副技師長が私にやってくれて言われたのです。調査中、ずっと一緒にやって来たので彼は私を信頼してくれていたのです。嬉しかったですが、大変な通訳でした。今から考えると、よくできたもんだと思うのです。この会議はその後もありました。
とにかく日本から誰かが来ると、駆り出されることが多かったです。有名な作家、有名な写真家、芸能人、有名な考古学者、ODAのメンバーなどなどは通訳というより、同行して案内してあげるというようなことでした。
さて、日本に帰ってからですが、日本では殆どペルシア語の需要はありませんでした。いまでも余りないでしょう。でも何処で調べて来るのでしょうか。弁護士さんから電話がかかりまして、留置所のイラン人との通訳を頼まれるようになったのです。昼間は会社勤務があるので、その後の7時ごろの夜でした。かなりの回数出かけました。一度引き受けると、ほかの弁護士さんからも依頼がありました。余談ですが容疑者の言うことを信じて、それを証明しようとして一生懸命事実関係を調べる弁護士さんがいました。また別のケースでは、事実関係はどうでもいいから、罪を認めなさいと、容疑者にいう弁護士もいました。彼が言うには、早く罪を認めた方が、結局は自分のためには一番良いんだということでしが。この弁護士さんは腕利きのように思ったものです。色々勉強させてもらいました。その後、裁判での通訳も依頼されたのですが、昼間の勤務を口実にお断りして、日本語の達者なイラン人を紹介して、その方が引き受けてくれました。でもそのうちに、自分の国の人の裁判には関わりたくない。悲しくなるということで、辞めることにしました。
長々と書いてしまいましたが、そんなことがあったのだと振り返ってみました。今私の実力は非常に落ちています。語彙もどんどん忘れているでしょう。ただ、今はペルシア語の詩を読むのが楽しみです。詩は少し難しいですが、理解して、それをアラビア書道(ペルシア書道)の作品にするのがライフワークになっています。私の作品はこのブログに何度か紹介している通りです。そういえば春分の日はイランのノウルーズ(新年)でした。今が一番美しい季節です。そして、元旦から13日目の日はsizdah bedarといってお弁当を持って外に出かけるピクニックデーなのです。そのような場所を通りかかると、ベファルマイ、ベファルマイと言って無理やりごちそうしようとするのです。メフマンドゥースト=おもてなしの国なのです。
サウジアラビア、トルコに続き、今回はイランです。なぜイランなのか?理由は簡単です。サウジアラビアはアラブ民族です。次のトルコはトルコ民族です。そして今回はペルシア民族のイランというわけです。中東には大きく分けてこの三つの民族=文化が存在するわけです(イスラエルのユダヤは別として)。公平さを保つために今回はイランです。いずれユダヤも登場すると思いますが。いつものようにCIAの資料を拝借して取りまとめてみます。
概要
1935年までペルシャとして知られていたイランは、支配的な君主制が崩壊し、シャーモハンマドレザパフラビが亡命を余儀なくされた後、1979年にイスラム共和国になりました。Ayatollah Ruhollah KHOMEINIが率いる保守的な聖職者部隊は、憲法によれば専門家会議(AOE)にのみ責任を負う、一般に最高指導者と呼ばれる学識のある宗教学者に与えられた究極の政治的権力を備えた神権政治体制を確立しました。1979年11月にイランの学生グループがテヘランの米国大使館を押収し、1981年1月中旬まで大使館職員を人質にしたとき、米国とイランの関係は緊張し、米国は1980年4月にイランとの外交関係を断ち切った。 イランとイラクの戦争は、最終的にはペルシャ湾に拡大し、米海軍とイラン軍の間で衝突を引き起こしました。イランはテロ支援国家に指定されており、テロへの関与が疑われていることと、核開発計画の軍事的側面に対する懸念から、米国、国連、EUの経済制裁と輸出規制の対象となっています。
1997年に改革派ホッジャトルエスラムモハンマドハータミが大統領に選出され、2000年に改革派マジュレス(議会)が選出された後、国民の不満に応えて政治改革を促進するキャンペーンが開始されました。運動は保守的な政治家として挫折し、最高指導者、監督者評議会のような選出されていない権威機関、そして治安部隊は治安抑圧を強めながら改革措置を逆転させ阻止した。2003年の全国的な地方選挙から始まり、2004年のマジュレス選挙まで、保守派はイランの選出された政府機関に対する支配を再確立し、2005年8月に強硬派のマフムードAHMADI-NEJADが大統領に就任した。2009年6月の彼の物議を醸した再選は、不正選挙の申し立てに対する全国的な抗議を引き起こしたが、抗議はすぐに抑制された。主に政府の管理ミスと国際的制裁による経済状況の悪化は、2012年7月と10月に少なくとも2つの主要な経済ベースの抗議を引き起こしたが、イランの内部治安状況は安定していた。AHMADI-NEJAD大統領の独立した筋は、最高指導者を含む政権樹立の数字を怒らせ、大統領の最後の年の議題に対する保守的な反対と、彼の政治的支持者の疎外につながった。2013年6月、イラン人は中道聖職者のHasanFereidunRUHANI博士を大統領に選出しました。政権の長年の上級メンバーであり、彼は社会の改革とイランの外交政策を約束した。2015年7月、イランと5人の常任理事国、およびドイツ(P5 + 1)は、制裁措置の緩和と引き換えにイランが核開発計画の制限に合意したJCPOAに署名しました。しかし、米国は2018年に制裁を再課し、ルハニの遺産とイラン経済に打撃を与えました。取引を回復するための交渉は2021年に始まり、現在も続いています。イランは2020年2月にマジュレスと大統領のために2021年6月に選挙を行い、その結果、政権の選出された機関と選出されていない機関全体が強硬で保守的な独占になりました。エブラヒーム・ライシ大統領は、イランの司法で数十年のキャリアを持つ強硬派の聖職者であり、外交政策と経済的経験は限られています。さらに、ドイツ(P5 + 1)は、制裁措置の緩和と引き換えにイランが核開発計画の制限に同意したJCPOAに署名しました。しかし、米国は2018年に制裁を再課し、ルハニの遺産とイラン経済に打撃を与えました。取引を回復するための交渉は2021年に始まり、現在も続いています。イランは2020年2月にマジュレスと大統領のために2021年6月に選挙を行い、その結果、政権の選出された機関と選出されていない機関全体が強硬で保守的な独占になりました。エブラヒーム・ライシ大統領は、イランの司法で数十年のキャリアを持つ強硬派の聖職者であり、外交政策と経済的経験は限られています。さらに、ドイツ(P5 + 1)は、制裁措置の緩和と引き換えにイランが核開発計画の制限に同意したJCPOAに署名しました。しかし、米国は2018年に制裁を再課し、ルハニの遺産とイラン経済に打撃を与えました。取引を回復するための交渉は2021年に始まり、現在も続いています。イランは2020年2月にマジュレスと大統領のために2021年6月に選挙を行い、その結果、政権の選出された機関と選出されていない機関全体が強硬で保守的な独占になりました。エブラヒーム・ライシ大統領は、イランの司法で数十年のキャリアを持つ強硬派の聖職者であり、外交政策と経済的経験は限られています。イランは2020年2月にマジュレスと大統領のために2021年6月に選挙を行い、その結果、政権の選出された機関と選出されていない機関全体が強硬で保守的な独占になりました。エブラヒーム・ライシ大統領は、イランの司法で数十年のキャリアを持つ強硬派の聖職者であり、外交政策と経済的経験は限られています。イランは2020年2月にマジュレスと大統領のために2021年6月に選挙を行い、その結果、政権の選出された機関と選出されていない機関全体が強硬で保守的な独占になりました。エブラヒーム・ライシ大統領は、イランの司法で数十年のキャリアを持つ強硬派の聖職者であり、外交政策と経済的経験は限られています。
人口
85,888,910(2021年7月推定
言語
ペルシア語・ファルシ語(公式)、アゼルバイジャン語およびその他のトルコ語方言、クルド語、ギラキ語、マーザンダラーン語、ルリ語、バローチー語、アラビア語
宗教
イスラム教徒(公式)99.6%(シーア派90-95%、スンニ派5-10%)、その他(ゾロアスター教徒、ユダヤ教徒、キリスト教徒を含む)0.3%、詳細不明0.2%(2016年推定)
国土国土面積
1,648,195平方キロメートル国境が接する国: アフガニスタン921 km; アルメニア44km; アゼルバイジャン689km; イラク1,599km; パキスタン959km; トルコ534km; トルクメニスタン1,148km
国と政府国家元首
最高指導者Ali Hoseini-KHAMENEI(1989年6月4日以降)政府の長: Ebrahim RAISI大統領(2021年6月18日以降)。モハマド・モクバー初代副大統領(2021年8月8日以降)
経済
イランの経済は石油とガスの輸出への依存によって特徴づけられています。イランはまた、重要な農業、産業、およびサービス部門を所有していますが、イラン政府が所有する数百の国有企業が運営しています。また、政府は国の治安部隊に所属する多くの企業を間接的に管理しています。汚職、価格統制、補助金、数十億ドルの不良債権を抱える銀行システムなどの歪みは、経済を圧迫し、民間部門主導の成長の可能性を損なっています。民間部門の活動には、中規模の建設、セメント生産、鉱業、および金属加工に加えて、小規模のワークショップ、農業、一部の製造、およびサービスが含まれます。2016年1月の合同包括行動計画(JCPOA)に基づくほとんどの核関連制裁の解除は、イランの石油生産と収益の回復を引き起こし、GDPの急速な成長を牽引しましたが、石油生産が停滞したため、2017年の経済成長は低下しました。経済は、JCPOAの前から低水準の投資と生産性の低下に苦しみ続けており、特に女性と大学教育を受けたイランの若者の間で高水準の失業に苦しんでいます。2017年5月、Hasan RUHANI大統領の再選により、JCPOAの経済的利益が拡大し、社会のあらゆるレベルに到達するという一般の期待が広まりましたが、イランの核開発計画による制裁措置により、外国投資家がイランに関与することは難しい状況です。現大統領は保守強硬派であるため、対米関係は依然として緊張状態にあります。
GDP
実質GDP(購買力平価)$ 1,044,310,000,000(2020年推定)です$ 1,027,240,000,000(2019年推定)です実質GDP成長率3.7%(2017年推定)12.5%(2016年推定)一人当たりの実質GDP$ 12,400 (2020年推定)です$ 12,400(2019年推定)です$ 13,500(2018年推定)です。
GDPの構成
農業: 9.6%(2016年推定)
産業: 35.3%(2016年推定)
サービス: 55%(2017年推定)
貿易
輸出
1,014億ドル(2017年推定)
839.8億ドル(2016年推定)
輸出相手:中国48%、インド12%、韓国8%、トルコ6%、アラブ首長国連邦5%(2019)
輸出商品:原油、ポリマー、工業用アルコール、鉄、ピスタチオ(2019)
輸入
763.9億ドル(2017年推定)
631.4億ドル(2016年推定)
輸入相手:中国28%、アラブ首長国連邦20%、インド11%、トルコ7%、ブラジル6%、ドイツ5%(2019)
輸入商品:米、とうもろこし、放送機器、大豆製品、牛肉(2019)
ウクライナがロシア軍の攻撃を受けて大変な戦争が続いています。最近ではウクライナがアメリカと結託して化学兵器を使おうとしているから攻撃しているとか、戦争を正当化するための出鱈目な主張もしています。プーチンは狂ったようですね。
そんな中で各国がロシアを非難し、制裁を発動し、ウクライナを支援する動きが大きくなっています。また、両国間の仲介役をかって出る国もいるわけですが、トルコもその一つです。ロシアとウクライナの外相会議をお膳立てしましたが、結果は何も出ませんでした。そのトルコが今回のテーマです。
トルコもロシアとの間には苦い歴史があります。ロシアの南下政策で南へ進出したかったロシアはトルコの脅威でした。何度か戦争となりました。コトバンクには次のように書かれています。
【露土戦争】
18~19世紀を通じて,ロシア帝国とオスマン帝国(トルコ)の間で戦われた一連の戦争。ロシア・トルコ戦争とも呼ばれる。不凍港を求めて,黒海からさらに地中海への南下を目ざすロシアの東方政策を主たる契機として発生した。
簡単すぎてあまり大事件のように聞こえませんが、もっと詳しくは「世界史の窓」などを見ていただくといいでしょう。いずれにせよロシア軍の侵攻によってオスマン帝国が戦争の場になったわけです。
さて、トルコの国情についてです。今回も米国はCIAの資料を利用しています。自動翻訳なので妙な日本語文があるかもしれません。
概要 | 現代トルコは、敗北したオスマン帝国の残党から、後にアタチュルクまたは「トルコ人の父」という称号を授与された国民的英雄ムスタファ・ケマルによって設立されました。彼のリーダーシップの下で、国は根本的な社会的、法的、政治的改革を採用しました。一党支配の期間の後、複数政党政治の実験は、野党民主党の1950年の選挙勝利と政権交代につながりました。それ以来、トルコの政党は拡大しましたが、民主主義は不安定な時期と軍事クーデター(1960、1971、1980)によって崩壊し、いずれの場合も最終的には正式な政治権力が民間人に返還されました。1997年、軍は再び、当時のイスラム志向の政府の追放者(一般に「ポストモダンクーデター」と呼ばれる)の設計を支援しました。トルコは、ギリシャによる島の乗っ取りを防ぐために1974年にキプロスに軍事的に介入し、それ以来、トルコだけが認めている「北キプロスのトルコ共和国」の守護国として行動してきました。米国指定のテロ組織であるクルディスタン労働者党(PKK)によって1984年に開始された分離主義者の反乱は、長い間トルコの治安部隊の注目を集め、40,000人以上の命を奪ってきました。2013年、トルコ政府とPKKは暴力を終わらせることを目的とした交渉を行いましたが、2015年に激しい戦闘が再開されました。トルコは1945年に国連に加盟し、1952年にNATOの加盟国になりました。1963年、トルコは欧州共同体の準会員になりました。2005年にEUとの加盟交渉を開始しました。過去10年間、経済改革といくつかの政治改革が相まって、2015年から2016年まで続くトルコでは、アンカラ、イスタンブール、および主にクルド人の南東部地域全体での大規模な攻撃を含む、テロリストによる暴力の増加が見られました。2016年7月15日、トルコ軍の一部がクーデターを試みましたが、一般的な抵抗が広まったため、最終的には失敗しました。トルコ市民がクーデター軍と対峙するために一斉に街頭に出たとき、240人以上が殺され、2,000人以上が負傷した。政府は、失敗したクーデターを扇動したとして、フェトフッラーギュレンの国境を越えた宗教的および社会的運動(「ヒズメット」)の信者を非難し、運動の信者をテロリストとして指名した。クーデター未遂以来、トルコ政府当局は13万人以上の警備員、ジャーナリスト、裁判官、学者を逮捕、停職、または解雇しました。ギュレンの運動との関係が疑われる公務員。クーデターの失敗に続いて、トルコ政府は2016年7月から2018年7月まで非常事態宣言を制定しました。トルコ政府は2017年4月16日に国民投票を実施し、有権者はトルコを議会から大統領制に変更する憲法改正を承認しました。改正案は、2018年6月の大統領選挙と議会選挙に続いて完全に発効しました。 |
元首 | レジェップ・タイップ・エルドガン大統領(2014年8月28日から国家元首、2019年7月9日から政府の長)。 |
政府代表 | レジェップ・タイップ・エルドガン大統領 |
政体 | 共和制 |
首都 | アンカラ |
国土面積 | 783,562平方キロメートル (日本は38万) |
人口 | 82,482,383(2021年7月推定) |
人種 | トルコ語70-75%、クルド人19%、その他の少数民族7-12%(2016年推定) |
言語 | トルコ語(公式)、クルド語、その他の少数言語 |
宗教 | イスラム教徒99.8%(主にスンニ派)、その他0.2%(主にキリスト教徒とユダヤ教徒) |
経済概要 | 一人当たりGDP $ 28,400 (2020年推定) $ 28,200(2019年推定) $ 28,300(2018年推定) |
経済 | トルコの主に自由市場経済は、その産業と、サービス部門によって推進されていますが、その伝統的な農業部門は依然として雇用の約25%を占めています。自動車、石油化学、および電子産業は重要性を増しており、トルコの輸出構成の中で従来の繊維および衣料品セクターを上回っています。しかし、最近の政治的安定と経済のダイナミズムは、国内の不確実性と安全保障上の懸念に取って代わられ、金融市場のボラティリティを生み出し、トルコの経済見通しを圧迫しています。
現在の政府の政策は、構造的な経済改革の実施が鈍化している一方で、ポピュリストの支出措置と信用破綻を強調しています。政府はいくつかの戦略的セクターでより積極的な役割を果たしており、経済機関や規制当局を利用して政敵を標的にし、司法制度に対する民間セクターの信頼を傷つけてきました。2016年7月から2017年3月の間に、法の支配と経済改革のペースに関する懸念を理由に、3つの信用格付け機関がトルコのソブリン信用格付けを格下げしました。 トルコは依然として輸入石油とガスに大きく依存していますが、より幅広い国際的パートナーとのエネルギー関係を追求し、再生可能エネルギー、原子力、石炭などの国内エネルギー源の使用を増やすための措置を講じています。トルコとアゼルバイジャニのアナトリア横断天然ガスパイプラインは、トルコとヨーロッパへのカスピ海ガスの輸送を増やすために前進しており、完成すると、トルコの輸入ガスの供給源を多様化するのに役立ちます。 2001年にトルコが深刻な金融危機を経験した後、アンカラはIMFプログラムの一環として金融および財政改革を採用しました。改革は国の経済ファンダメンタルズを強化し、2008年まで年平均6%以上の力強い成長の時代を迎えました。積極的な民営化プログラムはまた、基礎産業、銀行、輸送、発電、通信への国家の関与を減らしました。世界的な経済情勢と財政引き締めにより2009年にGDPは縮小しましたが、トルコの規制の厳しい金融市場と銀行システムは、国が世界的な金融危機を乗り切るのに役立ち、GDP成長率は2010年と2011年に輸出と投資として約9%に回復しました。危機後に回復した。 2016年以降のトルコのGDPの成長は、トルコ経済の根底にある不均衡が根強いことを明らかにしています。特に、トルコの大きな経常赤字は、成長の資金を調達するために外部投資の流入に依存しなければならないことを意味し、経済を投資家の信頼の不安定な変化に対して脆弱なままにします。その他の厄介な傾向には、トルコリラの対ドル安が続いていることを考えると、2017年に増加した失業率とインフレ率の上昇が含まれます。政府債務はGDPの約30%と低いままですが、銀行と企業の借入は過去10年間でGDPの%としてほぼ3倍になり、新興市場の同業他社を上回り、投資家は長期的な持続可能性について懸念を抱いています。 |
輸出入 | 輸出品 自動車および車両部品、精製石油、配送トラック、宝飾品、衣料品およびアパレル(2019)輸入品 金、精製石油、原油、車両部品、鉄くず(2019) |
今年度もあと半月になりました。これまで勤めて来た非常勤講師の仕事も終えることにしました。そこで今回は中東諸国のプロフィールを改めて整理したいと思うのです。現役のときは自分のデーターベースを常時アップデートしていましたが、非常勤になってからは必要な部分のみを見てきました。原点に戻って、改めて中東諸国の現状を整理したいと思います。というものの、現地の国々の資料をにアクセスするのは個人の立場としては難しい(費用が掛かる)ので、やはり米国の資料に頼ることにします。とりあえず今回はサウジアラビアです。
概要 | サウジアラビアはイスラム誕生の地であり、メッカとメディナの二つの聖地が在る。現在のサウジアラビアはアラビア半島の大部分を統一したイブン・サウドによって1932年にスタートした。石油、天然ガスの世界最大級の生産国である。 |
元首 | King and Prime Miniser SALMAN bin Abd al-Aziz Al Saud |
政府代表 | 同上 |
政体 | 絶対君主制 |
首都 | リヤド (Riyadh) |
国土面積 | 215万㎢ *日本は38万㎢だから5倍以上 |
人口 | 3480万人(2021年7月時推定) 推定成長率1.62% |
年齢構成 0-14歳: 24.84%(男性4,327,830 /女性4,159,242) 15-24歳: 15.38%(男性2,741,371 /女性2,515,188) 25-54歳: 50.2%(男性10,350,028 /女性6,804,479) 55-64歳: 5.95%(男性1,254,921/女性778,467) 65歳以上: 3.63%(男性657,395 /女性584,577)(2020年推定) |
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人種 | アラブ(90%) |
言語 | アラビア語(公用語) |
宗教 | イスラム教徒(公式、市民はスンニ派85〜90%、シーア派10〜15%)、その他(東方正教会、プロテスタント、ローマカトリック、ユダヤ教、ヒンズー教、仏教、シーア派を含む)(2012年推定) 注:さまざまな信仰の駐在員コミュニティ(人口の30%以上)、スンニ派イスラム教の政府認可の解釈と矛盾するほとんどの形式の公の宗教的表現は制限されています。非イスラム教徒はサウジアラビアの市民権を持つことは許可されておらず、非イスラム教徒の礼拝所は許可されていません(2013) |
経済概要 | サウジアラビアは石油ベースの経済であり、主要な経済活動に対する政府の強力な統制があります。世界で実証済みの石油埋蔵量の約16%を保有し、石油の最大の輸出国としてランク付けされており、OPECで主導的な役割を果たしています。石油セクターは、予算収入の約87%、GDPの42%、輸出収入の90%を占めています。
サウジアラビアは、経済を多様化し、より多くのサウジアラビア国民を雇用するために、民間部門の成長を奨励しています。サウジアラビア経済、特に石油およびサービス部門では、約600万人の外国人労働者が重要な役割を果たしています。しかし同時に、リヤドは自国民の失業を減らすのに苦労しています。サウジアラビアの当局者は、特に若者の人口が多いことを重視しています。 2017年、王国はGDPの8.3%と推定される財政赤字を被りました。これは、債券の売却と準備金の引き出しによって賄われていました。王国は、かなりの外国資産を引き出すか借りることによって数年間高額の赤字を賄うことができますが、設備投資を削減し、電気、水、石油製品への補助金を減らし、最近5%の付加価値税を導入しました。2016年1月、皇太子と副首相のムハンマド・ビン・サルマンは、サウジアラビアが国営石油会社ARAMCOの株式を上場する意向であると発表しました。これは、収益と外部投資を増やすためのもう1つの動きです。政府はまた、石油市場の縮小を受けて、経済の民営化と多様化をより綿密に検討している。歴史的に、サウジアラビアは多様化の取り組みを発電に集中させてきました。電気通信、天然ガス探査、および石油化学セクター。最近では、政府は、ヘルスケア、教育、観光産業における民間部門の役割の拡大について投資家に働きかけています。サウジアラビアはしばらくの間、多様化の目標を強調してきましたが、現在の石油価格の低さにより、政府は長期的なスケジュールに先立ってより抜本的な変更を余儀なくされる可能性があります。 |
経済 | 農産物 牛乳、ナツメヤシ、鶏肉、果物、スイカ、大麦、小麦、ジャガイモ、卵、トマト産業 原油生産、石油精製、基礎石油化学製品、アンモニア、産業ガス、水酸化ナトリウム(苛性ソーダ)、セメント、肥料、プラスチック、金属、商用船の修理、商用航空機の修理、建設工業生産の成長率 -2.4%(2017年推定)労働力 1,380万(2017年推定) 注: 310万人のサウジアラビア人と1,070万人の非サウジアラビア人で構成されています労働力-職業別 農業: 6.7%、産業: 21.4%、サービス: 71.9%(2005年推定) 失業率 失業、15〜24歳の若者 |
輸出入 | 輸出 1841.1億ドル(2020年推定) 2858.6億ドル(2019年推定)輸出-パートナー 中国20%、インド11%、日本11%、韓国9%、米国5%(2019)輸出-商品 原油、精製石油、ポリマー、工業用アルコール、天然ガス(2019)輸入 1,798億ドル(2020年推定) 輸入-パートナー 輸入-商品 |